何ぞやと
それは
ものを伝える手段
言葉と同じで
必要な情報を
伝えたい情報を
しっかり云えていれば
それでいい
それが今んところ
原則いい絵である
いくら描写がリアルでも
樹の緑色が美しいことを言いたいときに
幹の細かい描写は無駄だったりする
人の肌が奇麗だと言いたいときに
人体のバランスがおかしかったりしても
ぜんぜん関係なかったりする
例えば小説もそうだと思う
いくら語彙が豊富でも
あの娘が可愛いことを伝えるのに
目鼻口についてそれぞれ細かく形や色を説明して
髪の長さや三つ編みの編み込みの数まで細かく描写
・・・はしないであろう
云いたいことが簡単に云えていればそれで良いのだ
それでも小説家に語彙力は必要だし
画家には描写力やデッサン力が必要なのは
何故かと
要は、その方がバリエーションや可能性が多くなるから
ってだけなんよね
美術大学の入試試験とは
その「可能性」ってものを量るためのものだから
だから
だから
デッサンは必要
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